歩行者と運転手の対立構図にすべきではないが、
被害者なら何でもアリだと思うなよ
http://kazus.blog66.fc2.com/blog-entry-1720.html
でたーーーーーーーー。また困ったことはお上にお任せ。しかもとんだ勘違い。制限を30㎞にするべきなんじゃなくて、危険な状態を判断できない奴に免許を与えないようにするのが先決。なんでもかんでも法律を作って片付けようとする根性を見ると、如何に被害者の遺族と言えども胸糞が悪くなります。
彼らは、事故被害者であると共に、行政の愚民化政策の被害者でもある。
巡航速度と衝突速度の区別もできず、巡航速度を危険と思わ「されている」人たち。
そして、事故の責任は警察・行政にもある(しかもその責任はかなり重い)ことをわからない人たち。
彼らは、わからないのだから、むやみに責めるべきではない。
「わからない」ようにしたのは警察なのだから、責める方向は警察組織に向けるべきである。
ただし、「わからない」ままでは何も解決しない。
被害者も、これからの被害者を出したくないのなら、わかろうとしなければならない。
誰がどう努力しようと、わかる・わからないは結局、本人たちの意志にかかっているのだから。
そういったこと以外でも、被害者面して他者を一方的に責めるだけでなく、自分たちも加害者になる可能性がある。
被害者と加害者の立場は紙一重であることも自覚しなければなるまい。
まずは、危険、危険と騒ぎ立てる貴方達から車の利用を徹底的に自粛するべきでしょう。狭い道に無意味にばかでかいワゴンを乗り付けるとかなんて、危険そのものですよね。運転中に子供と話をするとかなんて、もう見ていて冷や汗ものですよ。そんな危険な行為絶対にしない方が良いと思いますよ。
などいい例である。
速度が出ているとか、酒を飲んでいるとかでなくても、事故で人様の命を奪う可能性は十分あるのだ。
速度だ酒だでステレオタイプな他人非難をやっている人たちは、自分たちが安全についてまるで考えていない危険な存在だとアピールしているようなものだ。
↑のような、警察やマスコミの言い分をうのみにして安全問題を単純化して見なしている人は、よくよく考えてもらわなければならない。
その人たちがそういう考えを持つことも、交通被害者を量産する一因なのだから。
参考になりそうな記事:
2007年1月19日 (金) 正しくないことは教わりたくない
http://pcastle.cocolog-nifty.com/p_castle/2007/01/post_580c.html
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